2012年01月18日
母の四十九日を終えて。
母が昨年の12月2日に急逝しました。11月中旬に病院を退院して施設に入居
したばかりでした。12月に入って褥瘡(床連れ)が発生したので、用心して
一月くらいかけてゆっくり治療しましょうとなり再入院したところでした。
夕方入院してその日の夜遅く、急遽病院より呼び出しがあり妹二人が駆けつ
けた時には息を引き取っていました。入院の時のバイタル検査でも特に異常は
ないとのことだったので、さほど心配していませんでした。
私は奈良に帰っており、翌日福岡へ戻る予定でしたが、急遽家内と翌朝一番
の新幹線で福岡へ向かいました。
その後は流れ作業的に、通夜、葬儀、初七日と進み、先日四十九日の法要も
終わらせたところです。病院の主治医からもまさかと言う言葉でお悔やみを頂
きました。母も91歳だったので体力的にも弱っていたのかなとは思うようにし
ています。大往生とも言えるでしょう。
本来、親の他界の喪が明けるのは1年後ですが、高齢だったこともあり四十
九日の忌明けで普通の生活に戻るつもりで、早速このブログも再開致します。
写真は母が亡くなった12月2日に新大宮の「蔵粋亭」(沖縄料理)で食べた
「タコライス」です。かなりボリュームがありましたが平らげました。家に
戻ってしばらくして妹から連絡が入ったものです。
もう一つの写真は「外付けハードディスク」です。ノートパソコンのディス
ク(35GB)が満杯になったのでデータ退避の為に購入したものです。750GBの
容量なので本体の20倍以上です。昔の物に比べたら小さくなったものです。
最初に使った磁気装置は65KBのドラムでしたが、それに比べると1154万倍
の大きさになるのでコンピュータの進化の速度は計り知れませんね。
「蔵粋亭(くらしっくてい)」のタコライスです。
トッピングは鶏そぼろとチーズでした。

携帯と比較してみました。

「750GB」の外付けハードディスクです。
USB内蔵なのでスッキリしています。

厚みも携帯より薄いくらいです。

したばかりでした。12月に入って褥瘡(床連れ)が発生したので、用心して
一月くらいかけてゆっくり治療しましょうとなり再入院したところでした。
夕方入院してその日の夜遅く、急遽病院より呼び出しがあり妹二人が駆けつ
けた時には息を引き取っていました。入院の時のバイタル検査でも特に異常は
ないとのことだったので、さほど心配していませんでした。
私は奈良に帰っており、翌日福岡へ戻る予定でしたが、急遽家内と翌朝一番
の新幹線で福岡へ向かいました。
その後は流れ作業的に、通夜、葬儀、初七日と進み、先日四十九日の法要も
終わらせたところです。病院の主治医からもまさかと言う言葉でお悔やみを頂
きました。母も91歳だったので体力的にも弱っていたのかなとは思うようにし
ています。大往生とも言えるでしょう。
本来、親の他界の喪が明けるのは1年後ですが、高齢だったこともあり四十
九日の忌明けで普通の生活に戻るつもりで、早速このブログも再開致します。
写真は母が亡くなった12月2日に新大宮の「蔵粋亭」(沖縄料理)で食べた
「タコライス」です。かなりボリュームがありましたが平らげました。家に
戻ってしばらくして妹から連絡が入ったものです。
もう一つの写真は「外付けハードディスク」です。ノートパソコンのディス
ク(35GB)が満杯になったのでデータ退避の為に購入したものです。750GBの
容量なので本体の20倍以上です。昔の物に比べたら小さくなったものです。
最初に使った磁気装置は65KBのドラムでしたが、それに比べると1154万倍
の大きさになるのでコンピュータの進化の速度は計り知れませんね。
「蔵粋亭(くらしっくてい)」のタコライスです。
トッピングは鶏そぼろとチーズでした。
携帯と比較してみました。
「750GB」の外付けハードディスクです。
USB内蔵なのでスッキリしています。
厚みも携帯より薄いくらいです。
2011年12月02日
和歌山)湯浅へ撮影旅行。
昨日は会社の元同僚と和歌山)湯浅へ撮影旅行に出かけた。
湯浅は醤油発祥の地として有名である。
鎌倉時代に紀州由良(現和歌山権日高郡)の僧が中国から持ち帰った金山寺味噌の
製法を湯浅の村民に教えていた時に偶然できた産物のようである。
醤油発祥の地は日本全国の醤油産地で「われこそは!」と唱えているが、Wikipedia
に「湯浅」が発祥の地と載っていたのでそれが正解だろう。
現地に行って新たに判ったことは、この湯浅が「熊野古道」で唯一市街地を通る町
であるということだった。町のあちこちに熊野古道の標識や当時を偲ばせる町並みが
残っていた。
久し振りに古い町並みをゆっくりと散策した一日だった。
JR湯浅駅の歓迎看板です。

一番大きな醤油醸造所「角長」さんの建物です。

「醤油発祥地」の看板がありました。

船に乗せて蔵出しするときの一時貯蔵所と
当時の樽の様子です。

町並みその二で、角長さんの表側です。

湯浅は漁港でもあり「しらす」の釜揚げでも有名です。
町では「しらす丼」を名物として売り出していました。
今週の月曜日にNHKの「鶴瓶の家族に乾杯!」で
愛知・知多半島の「しらす丼」を紹介していましたが、
和歌山・湯浅でも町興しの一環として頑張っていました。
冬でも氷水に手を入れて「しらす」をすくっている処。

町中で昼食を食べましたが、直ぐ近くの魚屋で魚を買い、
その場で刺身に裁いたものを食堂に持ってきてくれました。
取れたて、裁きたての新鮮な刺身でした。「しらす」も注文しました。
和歌山は有田ミカンの産地で今が盛りとなっていました。

また、湯浅は「紀文」の「紀伊国屋文左衛門」が生まれた地
でもあり、その偉業を顕彰して像が建っていました。

最後は和歌山の銀平本店で夕食に舌鼓をうちました。
湯浅は醤油発祥の地として有名である。
鎌倉時代に紀州由良(現和歌山権日高郡)の僧が中国から持ち帰った金山寺味噌の
製法を湯浅の村民に教えていた時に偶然できた産物のようである。
醤油発祥の地は日本全国の醤油産地で「われこそは!」と唱えているが、Wikipedia
に「湯浅」が発祥の地と載っていたのでそれが正解だろう。
現地に行って新たに判ったことは、この湯浅が「熊野古道」で唯一市街地を通る町
であるということだった。町のあちこちに熊野古道の標識や当時を偲ばせる町並みが
残っていた。
久し振りに古い町並みをゆっくりと散策した一日だった。
JR湯浅駅の歓迎看板です。
一番大きな醤油醸造所「角長」さんの建物です。
「醤油発祥地」の看板がありました。
船に乗せて蔵出しするときの一時貯蔵所と
当時の樽の様子です。
町並みその二で、角長さんの表側です。
湯浅は漁港でもあり「しらす」の釜揚げでも有名です。
町では「しらす丼」を名物として売り出していました。
今週の月曜日にNHKの「鶴瓶の家族に乾杯!」で
愛知・知多半島の「しらす丼」を紹介していましたが、
和歌山・湯浅でも町興しの一環として頑張っていました。
冬でも氷水に手を入れて「しらす」をすくっている処。
町中で昼食を食べましたが、直ぐ近くの魚屋で魚を買い、
その場で刺身に裁いたものを食堂に持ってきてくれました。
取れたて、裁きたての新鮮な刺身でした。「しらす」も注文しました。
和歌山は有田ミカンの産地で今が盛りとなっていました。
また、湯浅は「紀文」の「紀伊国屋文左衛門」が生まれた地
でもあり、その偉業を顕彰して像が建っていました。
最後は和歌山の銀平本店で夕食に舌鼓をうちました。
2011年11月30日
長岳寺の紅葉。
先日の談山神社の帰りに天理の「長岳寺」に立ち寄った。ここも数少ない奈良の
紅葉ポイントだからである。5月のかきつばた撮影以来、今年2回目の訪問である。
談山神社ほどではなかったが、池面に映った紅葉を撮りに来ている人がいた。
庫裏(旧地蔵院)では温かいにゅーめんが味わえるようだったが、誰もいなかっ
たので食べそびれた。次回には必ず挑戦しようと思っている。
山の辺の道の丁度真ん中当たりにあるので、訪れた人も多いだろう。
日本最古の鐘楼門をバックに。

鐘堂をバックに。

一本だけ真っ赤な楓が彩りを添えていました。

紅葉と黄葉の乱舞です。

綺麗な紅葉でした。これもバックは鐘楼門です。

長岳寺では定番のアングルですね。

本堂をバックに。

黄葉の一部が紅く染まりかけていました。

赤と黄、緑のそろい踏みです。

柿の木にアサガオ(?)が巻き付いていました。
紅葉ポイントだからである。5月のかきつばた撮影以来、今年2回目の訪問である。
談山神社ほどではなかったが、池面に映った紅葉を撮りに来ている人がいた。
庫裏(旧地蔵院)では温かいにゅーめんが味わえるようだったが、誰もいなかっ
たので食べそびれた。次回には必ず挑戦しようと思っている。
山の辺の道の丁度真ん中当たりにあるので、訪れた人も多いだろう。
日本最古の鐘楼門をバックに。
鐘堂をバックに。
一本だけ真っ赤な楓が彩りを添えていました。
紅葉と黄葉の乱舞です。
綺麗な紅葉でした。これもバックは鐘楼門です。
長岳寺では定番のアングルですね。
本堂をバックに。
黄葉の一部が紅く染まりかけていました。
赤と黄、緑のそろい踏みです。
柿の木にアサガオ(?)が巻き付いていました。
2011年11月29日
談山神社の紅葉。
昨日、新ノ口の運転免許センターへ行き、新しい免許を取得した。今回は初めて
「ゴールドカード」になった。5年間の無事故無違反が取得の条件である。
これも初めて知ったことだが、免許の更新期限も3年間から5年間に伸びるという
ことだった。次の更新は70歳(古希)なので場合によっては、体と相談して免許返上
も検討しなければいけないことになるだろう。
また、免許証の裏側がドナー申請カードとなっていた。交通事故などで死亡した
場合に臓器提供を承諾するかどうかのサインを書き込むようになっていた。元々、
ドナーカードは持っていたのでそのまま同じように申請した。
若い人や体を傷つけられることに不安を感じて承諾しかねる人は、「臓器を提供
しません。」にマークすればよいことになっている。
更新講習で幾つかの説明があったが、その中で一番目に付いたことは「後部座席
でもシートベルトが必須」になったことである。高速道路では必須になっていて、
取り締まりの対象だとは知っていたが、一般道路でも適用されるとのことだった。
ただ、乗り合いバスなどは全席にシートベルトが付いていないケースも多く、当面
は注意だけで終わるようである。何れは罰則が適用されるようになるだろう。
その後、免許更新も午前中の早い時間に終わったので、「談山神社」の紅葉を撮り
に行った。事前に場所などを確認してデジタル一眼レフも用意しておいたものである。
神仏霊場巡りの朱印帳も持参して記帳して貰った。平日だったが紅葉の旬の時期
なのでかなりの人出だった。満開の紅葉をゆっくりと楽しんだ。
紅葉や黄葉に囲まれた十三重塔です。

総社拝殿を上から見たところです。

権殿越しに見た十三重塔です。

別の角度から見た十三重塔です。
黄色の銀杏が印象的でした。

「けまりの庭」から見た十三重塔です。

拝殿の外側に並ぶ灯籠です。

拝殿の中から外を撮りました。

同じく中から見た灯籠です。

少し離れた「荒神社」から見た景色です。

談山神社の由緒が書いてあります。

「ゴールドカード」になった。5年間の無事故無違反が取得の条件である。
これも初めて知ったことだが、免許の更新期限も3年間から5年間に伸びるという
ことだった。次の更新は70歳(古希)なので場合によっては、体と相談して免許返上
も検討しなければいけないことになるだろう。
また、免許証の裏側がドナー申請カードとなっていた。交通事故などで死亡した
場合に臓器提供を承諾するかどうかのサインを書き込むようになっていた。元々、
ドナーカードは持っていたのでそのまま同じように申請した。
若い人や体を傷つけられることに不安を感じて承諾しかねる人は、「臓器を提供
しません。」にマークすればよいことになっている。
更新講習で幾つかの説明があったが、その中で一番目に付いたことは「後部座席
でもシートベルトが必須」になったことである。高速道路では必須になっていて、
取り締まりの対象だとは知っていたが、一般道路でも適用されるとのことだった。
ただ、乗り合いバスなどは全席にシートベルトが付いていないケースも多く、当面
は注意だけで終わるようである。何れは罰則が適用されるようになるだろう。
その後、免許更新も午前中の早い時間に終わったので、「談山神社」の紅葉を撮り
に行った。事前に場所などを確認してデジタル一眼レフも用意しておいたものである。
神仏霊場巡りの朱印帳も持参して記帳して貰った。平日だったが紅葉の旬の時期
なのでかなりの人出だった。満開の紅葉をゆっくりと楽しんだ。
紅葉や黄葉に囲まれた十三重塔です。
総社拝殿を上から見たところです。
権殿越しに見た十三重塔です。
別の角度から見た十三重塔です。
黄色の銀杏が印象的でした。
「けまりの庭」から見た十三重塔です。
拝殿の外側に並ぶ灯籠です。
拝殿の中から外を撮りました。
同じく中から見た灯籠です。
少し離れた「荒神社」から見た景色です。
談山神社の由緒が書いてあります。
2011年11月27日
木津川でランチ。
奈良へ戻ってきて一週間、やっと時間が取れたので家内と買い物ついでに
京奈和自動車道の木津川I.C近くの「ガーデンモール木津川」まで出掛けた。
ここは敷地も広く平和堂をキーテナントに西松屋、宮脇書店、カインズホ
ーム、ミドリ電化などを中心に43店舗が入っており、日曜日とあってかな
り賑わっていた。初めての場所だったが駐車場も無料でゆったりしていた。
特に子供向け(?)のラジコンカーの大きなレーシング場が室内に二つも
あり、マニアには垂涎の場所だなと思った。
今回は我が家のリホームで台所のガスレンジをIH調理台に変更したために、
フライパンや鍋を殆ど買い換えるための買い物だった。底が平らな鍋だった
ら大丈夫かなと思っていたが、そんなに簡単なものではなかった。
業者の方に聞いたところ簡単な見分け方は鍋の底に磁石がくっつくかどう
かで判定出来るとのことだった。早速磁石を探してきて色んな鍋類を調べた
ところ、2~3割しかくっつかなかった。フライパンは全滅だった。IH調理
器を電磁調理器と言っていたのが、ここでやっと理解できた次第である。
家内もそのことは当初から心配していたのだが、ここまで跳ねられるとは
思っていなく、慌てて買い出しに行くことになったものである。
買い物の後は昼食の時間になったので、事前に幾つか調べていたレストラ
ンに行くことにした。「奈良あだーじょ」のかなでさんが紹介されていた、
『ギャラリーカフェ 人と木』も候補に挙がっていたが、今回はもう少し遠
くにある州見台(くにみだい)の「とれたてダイニング柳生」を選んだ。
ホームページのランチメニュー(籠盛りわっぱ膳:1260円)が美味しそうだ
ったからである。ご主人は日本各地で和食の修行をされたあと、2006年
4月にこの地にオープンされたようである。食材は奥様の地元である「柳生
の里」から仕入れておられ、地産地消の見本とお見受けした。魚は和歌山産
である。
開店時間の11時半に伺ったが、日曜日のお昼とあって予約が一杯でやっ
とカウンターの隅に座ることができた。「籠盛りわっぱ膳」は目を奪われる
ようなしつらえで、女性好みのランチだと実感した。ランチは二種類あり、
もう一つは「桶盛りわっぱ膳:1890円」だが、これはかなりのボリュームで
お酒でも飲みながら頂く料理だと思った。
籠盛りわっぱ膳のメニューは以下の通りです。(ホームページより)
◆11月のお昼のランチメニュー ・・・月替わりのようですね!
かご盛りわっぱ膳(1260円)
お造り1種
どて焼き、おからのしっとり煮、茄子の田楽、南瓜の胡麻クリーム掛け
笹盛り・・・ぶり大根煮、出し巻き、じゃがいものきんぴら
日替わりメイン(クリームコロッケでした)
わっぱ飯(しめじ海鮮ご飯)、赤だし、お漬物、コーヒーまたは紅茶
どて焼きが美味しかった。思わず生ビールを頼みたくなったが、車の運転
があるので泣く泣く諦めた次第である。
直ぐ近くに「本店 Lier 幡」もあり、ここもまだ行っていないのでこれから、
こちら方面へのドライブが増えそうだ。
下のランチの写真はホームページから借用致しました。お店のご主人があ
まりにもお忙しそうにされていたので、写真撮影の許可を取り損ねました。
見るからに女性好みですね!

お店の全景です。
バリアフリーの紅いスロープがご主人の心根を感じさせます。

正面から写しました。

駐車場の方から写した看板です。
木津I.Cから走ってくるとこの看板が真っ先に目に入ります。

「とれたてダイニング柳生」
〒619-0216 京都府木津川市州見台5-21-9
<営業時間>
◆昼 11:30~14:30
◆夜 17:00~22:00
<定休日>
毎週木曜日、第2水曜日
※祝日の場合は営業
京奈和自動車道の木津川I.C近くの「ガーデンモール木津川」まで出掛けた。
ここは敷地も広く平和堂をキーテナントに西松屋、宮脇書店、カインズホ
ーム、ミドリ電化などを中心に43店舗が入っており、日曜日とあってかな
り賑わっていた。初めての場所だったが駐車場も無料でゆったりしていた。
特に子供向け(?)のラジコンカーの大きなレーシング場が室内に二つも
あり、マニアには垂涎の場所だなと思った。
今回は我が家のリホームで台所のガスレンジをIH調理台に変更したために、
フライパンや鍋を殆ど買い換えるための買い物だった。底が平らな鍋だった
ら大丈夫かなと思っていたが、そんなに簡単なものではなかった。
業者の方に聞いたところ簡単な見分け方は鍋の底に磁石がくっつくかどう
かで判定出来るとのことだった。早速磁石を探してきて色んな鍋類を調べた
ところ、2~3割しかくっつかなかった。フライパンは全滅だった。IH調理
器を電磁調理器と言っていたのが、ここでやっと理解できた次第である。
家内もそのことは当初から心配していたのだが、ここまで跳ねられるとは
思っていなく、慌てて買い出しに行くことになったものである。
買い物の後は昼食の時間になったので、事前に幾つか調べていたレストラ
ンに行くことにした。「奈良あだーじょ」のかなでさんが紹介されていた、
『ギャラリーカフェ 人と木』も候補に挙がっていたが、今回はもう少し遠
くにある州見台(くにみだい)の「とれたてダイニング柳生」を選んだ。
ホームページのランチメニュー(籠盛りわっぱ膳:1260円)が美味しそうだ
ったからである。ご主人は日本各地で和食の修行をされたあと、2006年
4月にこの地にオープンされたようである。食材は奥様の地元である「柳生
の里」から仕入れておられ、地産地消の見本とお見受けした。魚は和歌山産
である。
開店時間の11時半に伺ったが、日曜日のお昼とあって予約が一杯でやっ
とカウンターの隅に座ることができた。「籠盛りわっぱ膳」は目を奪われる
ようなしつらえで、女性好みのランチだと実感した。ランチは二種類あり、
もう一つは「桶盛りわっぱ膳:1890円」だが、これはかなりのボリュームで
お酒でも飲みながら頂く料理だと思った。
籠盛りわっぱ膳のメニューは以下の通りです。(ホームページより)
◆11月のお昼のランチメニュー ・・・月替わりのようですね!
かご盛りわっぱ膳(1260円)
お造り1種
どて焼き、おからのしっとり煮、茄子の田楽、南瓜の胡麻クリーム掛け
笹盛り・・・ぶり大根煮、出し巻き、じゃがいものきんぴら
日替わりメイン(クリームコロッケでした)
わっぱ飯(しめじ海鮮ご飯)、赤だし、お漬物、コーヒーまたは紅茶
どて焼きが美味しかった。思わず生ビールを頼みたくなったが、車の運転
があるので泣く泣く諦めた次第である。
直ぐ近くに「本店 Lier 幡」もあり、ここもまだ行っていないのでこれから、
こちら方面へのドライブが増えそうだ。
下のランチの写真はホームページから借用致しました。お店のご主人があ
まりにもお忙しそうにされていたので、写真撮影の許可を取り損ねました。
見るからに女性好みですね!

お店の全景です。
バリアフリーの紅いスロープがご主人の心根を感じさせます。
正面から写しました。
駐車場の方から写した看板です。
木津I.Cから走ってくるとこの看板が真っ先に目に入ります。
「とれたてダイニング柳生」
〒619-0216 京都府木津川市州見台5-21-9
<営業時間>
◆昼 11:30~14:30
◆夜 17:00~22:00
<定休日>
毎週木曜日、第2水曜日
※祝日の場合は営業
2011年11月18日
介護日誌16。
お袋が15日に施設に入居した。認知が進んでいるのでグループホームである。
入院していた病院の系列施設なので安心なことと、体調が悪くなった時の受診
などは期待出来ると思っている。
お袋も病院を出る時は「やっと退院できる」と喜んでいたが、入居したその日
にベッドの上で、「いつ退院出来るの?」と聞いてきた。病院と施設の区別がつ
いていないようである。単に別の病院に転院したくらいに思っているようだ。
ただ、病院ではベッドの上で殆ど寝たきりだったが、施設では逆にベッドで寝
ることが少なく普段は椅子に座っているので体調の点では回復するだろう。
取りあえず毎日面会に行っているが、少しずつ皆さんとの生活に慣れてきたよ
うである。グループホームは9人単位の施設でそこにスタッフの方が常時4~5人で
対応されているので、比較的に他の施設(特養や老健)より充実しているようだ。
明日で一旦両親の介護を妹と交代し2週間程奈良へ戻る。2週間後のお袋の回復
状況を見るのが楽しみである。
施設の全景です。ここの2階に入居しています。

施設の正面入り口です。

部屋(個室)でくつろぐお袋です。

ベッドの全景です。

同じく方角を替えました。

部屋に設置されている洗面コーナーです。
簡単な化粧品を置いていますがまだ使っていないようです。

窓の外を見るお袋です。
窓から新幹線が走っているのが見えます。
入院していた病院の系列施設なので安心なことと、体調が悪くなった時の受診
などは期待出来ると思っている。
お袋も病院を出る時は「やっと退院できる」と喜んでいたが、入居したその日
にベッドの上で、「いつ退院出来るの?」と聞いてきた。病院と施設の区別がつ
いていないようである。単に別の病院に転院したくらいに思っているようだ。
ただ、病院ではベッドの上で殆ど寝たきりだったが、施設では逆にベッドで寝
ることが少なく普段は椅子に座っているので体調の点では回復するだろう。
取りあえず毎日面会に行っているが、少しずつ皆さんとの生活に慣れてきたよ
うである。グループホームは9人単位の施設でそこにスタッフの方が常時4~5人で
対応されているので、比較的に他の施設(特養や老健)より充実しているようだ。
明日で一旦両親の介護を妹と交代し2週間程奈良へ戻る。2週間後のお袋の回復
状況を見るのが楽しみである。
施設の全景です。ここの2階に入居しています。
施設の正面入り口です。
部屋(個室)でくつろぐお袋です。
ベッドの全景です。
同じく方角を替えました。
部屋に設置されている洗面コーナーです。
簡単な化粧品を置いていますがまだ使っていないようです。
窓の外を見るお袋です。
窓から新幹線が走っているのが見えます。
2011年11月13日
介護日誌15。
お袋の施設入居判定会議の結果が10日にでた。「OKです」との回答だった。
早速、入居時に必要なものを揃えた。寝具、衣類、洗面などの基本的なものを
11日に施設の方にヒアリングして、昨日不足なものの買い物をした。本日施設へ
持って行き入居の手続も済ませた。入居は15日(火)を予定している。
お袋の見舞いに行った時に施設への入居を伝えたが、退院したいのが先に立っ
ているのか、特に異存は無かった。ただ、実際に施設に入る時に、「自宅ではな
いの」と訝るかもしれない。東京の姉(98歳)が施設に入居しているので、それ
を引き合いに出して説得するつもりである。
施設の場所は家から歩いて15分程度なので、車が無い場合でも面会に行ける距
離で大いに助かるものである。親父(車椅子)の面会も快くOKの返事を貰った。
お袋は4ヶ月以上の入院だったが、ほぼベッドの上の生活だったので、足腰がか
なり弱っているものと思われる。最後の方はリハビリ病棟で歩行訓練をしていたが
終わると直ぐにベッドへ戻っていたので入院前の状態にはほど遠い状態だ。
施設のケアマネさんによると「病院から施設に入ると介護度は一つくらい良くな
りますよ」とのことだったので、それにかなり期待している。
早速、入居時に必要なものを揃えた。寝具、衣類、洗面などの基本的なものを
11日に施設の方にヒアリングして、昨日不足なものの買い物をした。本日施設へ
持って行き入居の手続も済ませた。入居は15日(火)を予定している。
お袋の見舞いに行った時に施設への入居を伝えたが、退院したいのが先に立っ
ているのか、特に異存は無かった。ただ、実際に施設に入る時に、「自宅ではな
いの」と訝るかもしれない。東京の姉(98歳)が施設に入居しているので、それ
を引き合いに出して説得するつもりである。
施設の場所は家から歩いて15分程度なので、車が無い場合でも面会に行ける距
離で大いに助かるものである。親父(車椅子)の面会も快くOKの返事を貰った。
お袋は4ヶ月以上の入院だったが、ほぼベッドの上の生活だったので、足腰がか
なり弱っているものと思われる。最後の方はリハビリ病棟で歩行訓練をしていたが
終わると直ぐにベッドへ戻っていたので入院前の状態にはほど遠い状態だ。
施設のケアマネさんによると「病院から施設に入ると介護度は一つくらい良くな
りますよ」とのことだったので、それにかなり期待している。
2011年11月06日
介護日誌14。
お袋が7月にベッドから落ちて腰椎骨折となり救急車を呼んで入院したが、
8月からはリハビリ病棟へ移っており11月8日が退院期限だった。
9月に2回自宅へ戻って二度目の時は一泊の予定だったが、ちょっと目を離
した隙に転倒し顔面と手の平を負傷して大出血し慌てて病院へ戻した。
病院の担当医やソーシャルワーカーとも相談したが、自宅での療養は難しい
との意見もあり妹とも相談した結果、施設へお願いすることにした。
ケアマネージャに頼んで施設を探して貰っていたが、やっと一つ空きが見つ
かり入居の方向で進んでいる。お袋の場合は認知症を患っており施設としては
「グループホーム」が該当のようである。
一昨日、見つかったグループホームへ事前見学に行ってきた。一年前に新築
し、旧施設から移ってきたようである。まだ新しく個室型となっており、部屋
には洗面所もついているなど過ごしやすそうな施設だった。
施設の担当者と本人および家族との面談が昨日あったが、本人の歩行能力や
トイレまわり、食事まわりなど幾つか質問があった。あとは先方の「入居判定
会議」の結果待ちである。感触的には大丈夫のようであるが、できれば早く回
答が欲しいところである。
もし、「否」の結果であれば再度他の施設を当たることになる。病院の方は
11月8日を過ぎても施設が見つかるまでは預かって貰えるようである。本来は
「特別養護老人ホーム(特養)」に入居したいのだが、待機者が多く直ぐには
入居できないようなので、「グループホーム」でしばらくお世話になることに
なるだろう。
今回、施設が空いたのも、そこの利用者が「特養」に入れることになったた
めのようである。お袋も「要介護5」だが「特養」への入居は厳しいようだ。
これまでも何回か骨折(膝、胸部等)で入院しており、その都度担当医から
施設への入居を勧められたが、まだ大丈夫との認識で自宅へ帰していた。
本人は家へ帰ることを強く希望しているが、今回認知症ということもあり家
では転倒などを防ぐことが困難であると判断し、施設入居を決めた次第である。
まずは入居先の施設が決ることを願っている。
8月からはリハビリ病棟へ移っており11月8日が退院期限だった。
9月に2回自宅へ戻って二度目の時は一泊の予定だったが、ちょっと目を離
した隙に転倒し顔面と手の平を負傷して大出血し慌てて病院へ戻した。
病院の担当医やソーシャルワーカーとも相談したが、自宅での療養は難しい
との意見もあり妹とも相談した結果、施設へお願いすることにした。
ケアマネージャに頼んで施設を探して貰っていたが、やっと一つ空きが見つ
かり入居の方向で進んでいる。お袋の場合は認知症を患っており施設としては
「グループホーム」が該当のようである。
一昨日、見つかったグループホームへ事前見学に行ってきた。一年前に新築
し、旧施設から移ってきたようである。まだ新しく個室型となっており、部屋
には洗面所もついているなど過ごしやすそうな施設だった。
施設の担当者と本人および家族との面談が昨日あったが、本人の歩行能力や
トイレまわり、食事まわりなど幾つか質問があった。あとは先方の「入居判定
会議」の結果待ちである。感触的には大丈夫のようであるが、できれば早く回
答が欲しいところである。
もし、「否」の結果であれば再度他の施設を当たることになる。病院の方は
11月8日を過ぎても施設が見つかるまでは預かって貰えるようである。本来は
「特別養護老人ホーム(特養)」に入居したいのだが、待機者が多く直ぐには
入居できないようなので、「グループホーム」でしばらくお世話になることに
なるだろう。
今回、施設が空いたのも、そこの利用者が「特養」に入れることになったた
めのようである。お袋も「要介護5」だが「特養」への入居は厳しいようだ。
これまでも何回か骨折(膝、胸部等)で入院しており、その都度担当医から
施設への入居を勧められたが、まだ大丈夫との認識で自宅へ帰していた。
本人は家へ帰ることを強く希望しているが、今回認知症ということもあり家
では転倒などを防ぐことが困難であると判断し、施設入居を決めた次第である。
まずは入居先の施設が決ることを願っている。
2011年10月21日
高校の同窓会旅行参加。
先日、中学校の同窓会をアップしたが、その後引き続き高校の同窓会へ参加した。
柳川温泉で泊まったあと、翌日中学の恩師が久留米で社交ダンスの大会に参加す
るので見送った。そしてその足で博多まで行き、新幹線に乗り換えて新山口駅へ向
かった。新山口駅には直方から同窓生を乗せてきた観光バスが待っていた。
昨年の同窓会は奈良だったので、地元として幹事の役を仰せつかったが、今回は
一参加者として楽しませて貰った。目的地は昨年の龍馬伝でも賑わったところで、
長州である。「山口・萩酒楽旅行」と銘打って維新の志士達の足跡を追った。
一日目は新山口駅を出発して、「ザビエル記念聖堂」を横目で見ながら「菜香亭」
へ向かいそこで昼食を取った。なんでも元佐藤栄作首相ご愛用の料亭だったとかで、
明治の元勲(伊藤博文、三条実美、木戸孝允等)の書が欄間に幾つも飾ってあった。
昼食の後は「瑠璃光寺五重塔」、「常栄寺雪舟亭」を見て、萩へ向かった。
萩では松下村塾と松陰神社をお参りし、宿の「萩本陣」へ向かった。夕食までに
時間があったので、裏山の展望台へシャトルバスで登り、萩の町を眼下に見下ろす
とともに西の山陰に落ちる真っ赤な夕陽を楽しんだ。宿に戻って温泉にゆっくり浸
かり、待望の宴会へと突入した。宴会では1年ぶりの再会で近況を確認し合い、ま
た初めての方もおられたのでそちらのメンバーとは旧交を温めた。最後は恒例の
「笠踊り」で宴会場を全員で踊り歩き、〆は校歌を斉唱してお開きとなった。
もちろん殆どのメンバーが場所を変えて二次会の会場へ行き、カラオケ大会が始
った。ただ今回は大きなホテルだったので、他のお客さんと同席となり、三つ位の
団体客が競うように得意の歌を披露しあっていた。人数が多かった(28名)せい
か最後は貸し切り状態となり日頃の憂さを歌って晴らしたようだ。
二日目は萩の町並み自由散策だったので、萩城跡指月公園や城下町を思い思い
のメンバーで楽しんだ。萩は「萩焼」が有名だたが、丁度同室のN間君が「古高取」
の権威だったので、その話を聞きながら窯元をはしごしたのが大変勉強になった。
前日の夜も「古高取」の話を寝物語で語り合いながら2時近くまで過ごした所だ。
自由散策のあと集合して次の目的地である長門市へ向かった。ここは今年にわか
に有名になった「女流詩人」の故郷である。ご存じ「金子みすず」さんの生家が今
は「記念館」として観光客を迎えていた。今年3月の東日本大震災のあとテレビで
よく流れていた「ac」のコマーシャルを覚えている人も多いだろう。その当時は詳
しく知らなかったが、今回記念館で年譜を見て繊細な感性を持ちながら、その故に
26歳の若さで夭折し、屈折した人生だったことを教えてもらった。
その後、仙崎港で昼食を頂き、希望者は青海島クルージングに出掛けた。外海は
やや波が荒かったので、ボート全体に波しぶきを受けながら「大島一周ルート」の
島巡りを楽しんだ。最後はお決まりの「秋吉台」へ行き、久し振りの「秋芳洞」を
皆で歩いた。一部足に自信の無い方はバスに残っていたようだが・・・
観光バスは前日集合した新山口駅まで行き、そこで解散となった。東京や関西か
らのメンバーは新幹線や飛行機で戻り、地元の直方組は観光バスでそのまま戻った。
小生は新山口駅から新幹線で両親が待つ福岡へ戻った。
山口は学生時代の友人がいるのでよく遊びに来ていた。また萩にも連れて行って
貰ったので、場所的な新鮮みはあまりなかったが、古い同窓生との語らいが一番の
心の栄養剤であり、ストレス解消にも大いに効果があった。特に今回は「金子みす
ず記念館」へ行って、才能が有りながらも薄幸な「一人の女性の生き方」を垣間見
せて貰ったた事が強く印象に残った。
来年の「名古屋同窓会旅行」が今から楽しみである。
山口市の「瑠璃光寺五重塔」です。山形県の羽黒山五重塔、
奈良県の法隆寺五重塔と日本三大五重塔に選ばれています。

同じく山口市にある「常栄寺雪舟亭」の雪舟像です。

ホテル「萩本陣」の裏山から見た夕闇迫る萩市内です。

長門市にある「金子みすず記念館」です。
実家は「金子文英堂」(書店)でした。

人物写真を?万枚貼り合わせて作られています。

東日本大震災の時にテレビで
よく流れていたフレーズです。

同じくその続きです。(本人の筆跡)

「秋吉台」に来たのは学生時代以来です。

カルスト台地が広がっていました。
元々は海の底で珊瑚礁が隆起したのもです。

長年(3億年)の浸食を経た石灰岩の勇姿が見られます。

柳川温泉で泊まったあと、翌日中学の恩師が久留米で社交ダンスの大会に参加す
るので見送った。そしてその足で博多まで行き、新幹線に乗り換えて新山口駅へ向
かった。新山口駅には直方から同窓生を乗せてきた観光バスが待っていた。
昨年の同窓会は奈良だったので、地元として幹事の役を仰せつかったが、今回は
一参加者として楽しませて貰った。目的地は昨年の龍馬伝でも賑わったところで、
長州である。「山口・萩酒楽旅行」と銘打って維新の志士達の足跡を追った。
一日目は新山口駅を出発して、「ザビエル記念聖堂」を横目で見ながら「菜香亭」
へ向かいそこで昼食を取った。なんでも元佐藤栄作首相ご愛用の料亭だったとかで、
明治の元勲(伊藤博文、三条実美、木戸孝允等)の書が欄間に幾つも飾ってあった。
昼食の後は「瑠璃光寺五重塔」、「常栄寺雪舟亭」を見て、萩へ向かった。
萩では松下村塾と松陰神社をお参りし、宿の「萩本陣」へ向かった。夕食までに
時間があったので、裏山の展望台へシャトルバスで登り、萩の町を眼下に見下ろす
とともに西の山陰に落ちる真っ赤な夕陽を楽しんだ。宿に戻って温泉にゆっくり浸
かり、待望の宴会へと突入した。宴会では1年ぶりの再会で近況を確認し合い、ま
た初めての方もおられたのでそちらのメンバーとは旧交を温めた。最後は恒例の
「笠踊り」で宴会場を全員で踊り歩き、〆は校歌を斉唱してお開きとなった。
もちろん殆どのメンバーが場所を変えて二次会の会場へ行き、カラオケ大会が始
った。ただ今回は大きなホテルだったので、他のお客さんと同席となり、三つ位の
団体客が競うように得意の歌を披露しあっていた。人数が多かった(28名)せい
か最後は貸し切り状態となり日頃の憂さを歌って晴らしたようだ。
二日目は萩の町並み自由散策だったので、萩城跡指月公園や城下町を思い思い
のメンバーで楽しんだ。萩は「萩焼」が有名だたが、丁度同室のN間君が「古高取」
の権威だったので、その話を聞きながら窯元をはしごしたのが大変勉強になった。
前日の夜も「古高取」の話を寝物語で語り合いながら2時近くまで過ごした所だ。
自由散策のあと集合して次の目的地である長門市へ向かった。ここは今年にわか
に有名になった「女流詩人」の故郷である。ご存じ「金子みすず」さんの生家が今
は「記念館」として観光客を迎えていた。今年3月の東日本大震災のあとテレビで
よく流れていた「ac」のコマーシャルを覚えている人も多いだろう。その当時は詳
しく知らなかったが、今回記念館で年譜を見て繊細な感性を持ちながら、その故に
26歳の若さで夭折し、屈折した人生だったことを教えてもらった。
その後、仙崎港で昼食を頂き、希望者は青海島クルージングに出掛けた。外海は
やや波が荒かったので、ボート全体に波しぶきを受けながら「大島一周ルート」の
島巡りを楽しんだ。最後はお決まりの「秋吉台」へ行き、久し振りの「秋芳洞」を
皆で歩いた。一部足に自信の無い方はバスに残っていたようだが・・・
観光バスは前日集合した新山口駅まで行き、そこで解散となった。東京や関西か
らのメンバーは新幹線や飛行機で戻り、地元の直方組は観光バスでそのまま戻った。
小生は新山口駅から新幹線で両親が待つ福岡へ戻った。
山口は学生時代の友人がいるのでよく遊びに来ていた。また萩にも連れて行って
貰ったので、場所的な新鮮みはあまりなかったが、古い同窓生との語らいが一番の
心の栄養剤であり、ストレス解消にも大いに効果があった。特に今回は「金子みす
ず記念館」へ行って、才能が有りながらも薄幸な「一人の女性の生き方」を垣間見
せて貰ったた事が強く印象に残った。
来年の「名古屋同窓会旅行」が今から楽しみである。
山口市の「瑠璃光寺五重塔」です。山形県の羽黒山五重塔、
奈良県の法隆寺五重塔と日本三大五重塔に選ばれています。
同じく山口市にある「常栄寺雪舟亭」の雪舟像です。
ホテル「萩本陣」の裏山から見た夕闇迫る萩市内です。
長門市にある「金子みすず記念館」です。
実家は「金子文英堂」(書店)でした。
人物写真を?万枚貼り合わせて作られています。
東日本大震災の時にテレビで
よく流れていたフレーズです。
同じくその続きです。(本人の筆跡)
「秋吉台」に来たのは学生時代以来です。
カルスト台地が広がっていました。
元々は海の底で珊瑚礁が隆起したのもです。
長年(3億年)の浸食を経た石灰岩の勇姿が見られます。
2011年10月19日
中学の同窓会に。その2
昨年に続いて今年も中学の同窓会に参加した。場所は福岡県の大牟田と柳川だった。
本来は3泊4日の韓国旅行の予定だったので不参加の返事を出していたのだが、辞退者
が増えて急遽国内の一泊旅行に変更になったために参加できたものである。
参加者は中学一年の時のクラスの担任の先生と生徒8人(男性:5人、女性:3人)の総勢
9人の同窓会だった。昨年は女性の方が多かったが、今年は男性の方が多かった。
同窓生の一人が高校の音楽教師をやりながらシャンソンを歌っており、丁度コンサートの
日に合わせて同窓会が企画されたものである。その同窓生は「椿憲一」君で地元の福岡県の
シャンソン界ではおそらくトップクラスだろう。福岡市内や久留米市などに幾つもの教室を
持っており、ピアノやシャンソンの講師を引き受けているベテランである。
今回は大牟田の「旧三井港倶楽部」でコンサートを開催するということで、同窓会をそれ
にぶつけたものである。前半は椿君の教え子9人(女性:8人、男性:1人)がそれぞれ歌を
披露し、後半は「椿憲一の世界」と題したワンマンショーの形式で8曲を披露してくれた。
シャンソンを生で聴くのは初めてだったが、しばし気だるく切ない、そして甘い雰囲気の
中に身を置いたひとときだった。特に後半のワンマンショーは椿憲一先生の貫禄ある歌声に
聴き惚れながら楽しませてもらった。椿君も歌の間に上手に話を挟んで場を盛り上げていた。
その中で「今日は中学時代の恩師が来られています。」と言って先生以下僕たちを紹介し
てくれた。先生も立ち上がって「ありがとう~!」とお礼を叫んでいた。
また、丁度この日は椿君の誕生日と言うこともあって、パンフレットには「椿憲一バース
デーシャンソンコンサート」と銘打ってあり、楽屋には花束が沢山並んでいた。コンサート
の最後のアンコールを歌ったあとでお別れの挨拶をしている時に、急に椿君が舞台から客席
へ降りてきて、中学時代の担任の先生の所に歩み寄り、こみ上げてきた感情を抑えきれなく
なって顔をくしゃくしゃにしながら抱きついて来た。先生も50年近く昔の生徒を労るように
優しく抱擁していた。観客も突然の出来事に一瞬驚き、その後盛大な拍手で二人を祝福した。
コンサートの後は柳川温泉に宿を予約していたので、先生と同窓生はそちらへ向かった。
椿君はコンサートの後で教え子との「バースデーパーティー」に参加するということで、
柳川温泉の宿には後で合流してくれた。宿では温泉に浸かり、夕食はビールで乾杯し料理に
舌鼓を打って、一年ぶりの再会ということもあって積もる話で盛り上がった。
椿君ともう一人のO君は中学以来なので50年振りくらいの再会だった。二人とも中学時代
に途中で転校しており、卒業名簿には載っていない同級生だった。O君は茨城県の取手市か
ら馳せ参じてくれたもので一番の遠来だった。彼とは親父同志が同じ職場だったので、中学
時代はよく話ていたのだが、50年振りの再会だったので昔覚えていた顔とは殆ど一致しなか
った。向こうも同じような印象だったのではと思っている。
翌日は恩師の先生が社交ダンスの大会に出席するということで、会場がある久留米まで皆
で送っていった。ダンス会場は部外者禁止だったので、残念ながらその勇姿?を拝むことは
出来なかった。それでも70歳代の先生がダンスを踊られるということで、一番かくしゃくと
されていることを実感した。来年の再会を約束して先生や皆と別れた。
この後は高校の同窓会に向かうことになるが、その話はまた後日アップする!
「旧三井港倶楽部」
三池炭坑の施設で昭和天皇も利用された由緒ある建物です。

「椿憲一バースデーシャンソンコンサート」の手作り看板です。

その倶楽部で食べたランチです。(前菜)

メインディッシュです。柔らかいお肉でした!
写真はありませんがスープなどもありました。

コーヒーとデザートです。

コンサートのパンフレットです。
「愛遥かに」がメインテーマでした!

コンサート会場の全景です。
8人の教え子に囲まれた真ん中の男性が椿君です。

柳川温泉の宿で食べた夕食です。

椿君が教え子から貰った、馬鹿でかい「バースデーケーキ」です。

社交ダンスの正装姿でポーズをとる恩師です。
宿で着替えてダンス会場へ向かいました。

本来は3泊4日の韓国旅行の予定だったので不参加の返事を出していたのだが、辞退者
が増えて急遽国内の一泊旅行に変更になったために参加できたものである。
参加者は中学一年の時のクラスの担任の先生と生徒8人(男性:5人、女性:3人)の総勢
9人の同窓会だった。昨年は女性の方が多かったが、今年は男性の方が多かった。
同窓生の一人が高校の音楽教師をやりながらシャンソンを歌っており、丁度コンサートの
日に合わせて同窓会が企画されたものである。その同窓生は「椿憲一」君で地元の福岡県の
シャンソン界ではおそらくトップクラスだろう。福岡市内や久留米市などに幾つもの教室を
持っており、ピアノやシャンソンの講師を引き受けているベテランである。
今回は大牟田の「旧三井港倶楽部」でコンサートを開催するということで、同窓会をそれ
にぶつけたものである。前半は椿君の教え子9人(女性:8人、男性:1人)がそれぞれ歌を
披露し、後半は「椿憲一の世界」と題したワンマンショーの形式で8曲を披露してくれた。
シャンソンを生で聴くのは初めてだったが、しばし気だるく切ない、そして甘い雰囲気の
中に身を置いたひとときだった。特に後半のワンマンショーは椿憲一先生の貫禄ある歌声に
聴き惚れながら楽しませてもらった。椿君も歌の間に上手に話を挟んで場を盛り上げていた。
その中で「今日は中学時代の恩師が来られています。」と言って先生以下僕たちを紹介し
てくれた。先生も立ち上がって「ありがとう~!」とお礼を叫んでいた。
また、丁度この日は椿君の誕生日と言うこともあって、パンフレットには「椿憲一バース
デーシャンソンコンサート」と銘打ってあり、楽屋には花束が沢山並んでいた。コンサート
の最後のアンコールを歌ったあとでお別れの挨拶をしている時に、急に椿君が舞台から客席
へ降りてきて、中学時代の担任の先生の所に歩み寄り、こみ上げてきた感情を抑えきれなく
なって顔をくしゃくしゃにしながら抱きついて来た。先生も50年近く昔の生徒を労るように
優しく抱擁していた。観客も突然の出来事に一瞬驚き、その後盛大な拍手で二人を祝福した。
コンサートの後は柳川温泉に宿を予約していたので、先生と同窓生はそちらへ向かった。
椿君はコンサートの後で教え子との「バースデーパーティー」に参加するということで、
柳川温泉の宿には後で合流してくれた。宿では温泉に浸かり、夕食はビールで乾杯し料理に
舌鼓を打って、一年ぶりの再会ということもあって積もる話で盛り上がった。
椿君ともう一人のO君は中学以来なので50年振りくらいの再会だった。二人とも中学時代
に途中で転校しており、卒業名簿には載っていない同級生だった。O君は茨城県の取手市か
ら馳せ参じてくれたもので一番の遠来だった。彼とは親父同志が同じ職場だったので、中学
時代はよく話ていたのだが、50年振りの再会だったので昔覚えていた顔とは殆ど一致しなか
った。向こうも同じような印象だったのではと思っている。
翌日は恩師の先生が社交ダンスの大会に出席するということで、会場がある久留米まで皆
で送っていった。ダンス会場は部外者禁止だったので、残念ながらその勇姿?を拝むことは
出来なかった。それでも70歳代の先生がダンスを踊られるということで、一番かくしゃくと
されていることを実感した。来年の再会を約束して先生や皆と別れた。
この後は高校の同窓会に向かうことになるが、その話はまた後日アップする!
「旧三井港倶楽部」
三池炭坑の施設で昭和天皇も利用された由緒ある建物です。
「椿憲一バースデーシャンソンコンサート」の手作り看板です。
その倶楽部で食べたランチです。(前菜)
メインディッシュです。柔らかいお肉でした!
写真はありませんがスープなどもありました。
コーヒーとデザートです。
コンサートのパンフレットです。
「愛遥かに」がメインテーマでした!
コンサート会場の全景です。
8人の教え子に囲まれた真ん中の男性が椿君です。
柳川温泉の宿で食べた夕食です。
椿君が教え子から貰った、馬鹿でかい「バースデーケーキ」です。
社交ダンスの正装姿でポーズをとる恩師です。
宿で着替えてダンス会場へ向かいました。
2011年10月03日
介護日誌12。
昨日(日曜日)2ヶ月ぶりにお袋が病院から家に戻ってきた。6時間の外出という
ことで主治医の許可も得ていた。
親父が先月末に退院していたが、妹も来てくれて久し振りの親子水入らずとなった。
食事とトイレが一番の課題だった。病院では「刻み食」で飲み物はトロミを付けた
ものだった。昼食だけだったので、今回は「玉子かゆ」と「玉子豆腐」、ヨーグルト
を用意した。病院ではなかなか食事がはかどらないのだが、家に戻ってきて用意した
昼食は全部たいらげてくれた。
体重が23.8kgしかないので、主治医によると生存ための最低体重を下回っているこ
ともあり、しっかり食事をとることが一番の治療ですとのことだった。また水分補給
も重要だが昔からあまり取らないことが問題だったのでそこも要注意だった。
病院では栄養と水分補給のために「点滴」を施しており、また尿の排出が少ないの
で導尿も実施している。両方とも医療行為なので家ではできないものである。
あと1ヶ月で退院(リハビリ棟入院の3ヶ月後)だが、果たして上のような医療行
為ができなくても大丈夫かどうかが心配なところである。明日病院のソーシャルワー
カーさんと今後の対応について話ができるようなので、ジックリ聞いてみたいと思っ
ている。
昨日は3時のおやつなどを食べた後、6時間経過したので病院へ戻ることにしたが
お袋は家に残りたいとむずがった。残してやりたかったが、今の体調ではそれも無理
だったので、家族で言い聞かせて病院へ戻る車に乗せた。
6時間滞在の感想としては、食事もちゃんと食べていたし、トイレにも2回ほど行
ってくれて思ったよりしっかりしていたので一安心だった。
次回は出来れば土日くらいに一泊の外泊をお願いしたいと思っている。
今日、見舞いに行ったときは昨日の帰宅のことを全く覚えていなかったので認知症
は確実に進行しているようだ。ただ、昨日アルバムで昔の写真などを見せると名前が
でてくるので古い記憶は残っているようだ。これからの毎日を大事にしていきたい。
ことで主治医の許可も得ていた。
親父が先月末に退院していたが、妹も来てくれて久し振りの親子水入らずとなった。
食事とトイレが一番の課題だった。病院では「刻み食」で飲み物はトロミを付けた
ものだった。昼食だけだったので、今回は「玉子かゆ」と「玉子豆腐」、ヨーグルト
を用意した。病院ではなかなか食事がはかどらないのだが、家に戻ってきて用意した
昼食は全部たいらげてくれた。
体重が23.8kgしかないので、主治医によると生存ための最低体重を下回っているこ
ともあり、しっかり食事をとることが一番の治療ですとのことだった。また水分補給
も重要だが昔からあまり取らないことが問題だったのでそこも要注意だった。
病院では栄養と水分補給のために「点滴」を施しており、また尿の排出が少ないの
で導尿も実施している。両方とも医療行為なので家ではできないものである。
あと1ヶ月で退院(リハビリ棟入院の3ヶ月後)だが、果たして上のような医療行
為ができなくても大丈夫かどうかが心配なところである。明日病院のソーシャルワー
カーさんと今後の対応について話ができるようなので、ジックリ聞いてみたいと思っ
ている。
昨日は3時のおやつなどを食べた後、6時間経過したので病院へ戻ることにしたが
お袋は家に残りたいとむずがった。残してやりたかったが、今の体調ではそれも無理
だったので、家族で言い聞かせて病院へ戻る車に乗せた。
6時間滞在の感想としては、食事もちゃんと食べていたし、トイレにも2回ほど行
ってくれて思ったよりしっかりしていたので一安心だった。
次回は出来れば土日くらいに一泊の外泊をお願いしたいと思っている。
今日、見舞いに行ったときは昨日の帰宅のことを全く覚えていなかったので認知症
は確実に進行しているようだ。ただ、昨日アルバムで昔の写真などを見せると名前が
でてくるので古い記憶は残っているようだ。これからの毎日を大事にしていきたい。
2011年09月29日
介護日誌11。
本日、親父が退院した。7月5日に入院したので、3ヶ月弱の入院生活だった。
昨年も夏に2ヶ月程入院したので、最近は年中行事になっている。退院するときも
来年の夏にまた来ますとといって看護士さん達とお別れをした。ただ、入院の日数が
長引いているのが少し気がかりではある。
明日は早速新しいケアマネさんが来られて、担当者会議が開催される。この会議は
初めて介護のお世話になる時など、ケアマネさんが関係者を招集して今後の介護計画
を検討する場である。デイサービスやショートステイ、訪問介護スタッフ、介護用品
レンタル業者等が一同に集まって具体的な介護メニューを決めていく会議である。
親父の場合は「要支援1」から「要介護3」へ4ランクアップしたので、ケアマネ
さんも公的支援センターから民間の業者に変更になったものである。また、ここ数年
親父は「支援」と「介護」を何回か行き来していたので、その辺の仕組みは理解でき
ており特に大きな変化はないのだが、介護レベルが「要介護3」になったのは初めて
なので、介護計画も入念なものになるかも知れない。
入院前は家の中を歩行器で自由に動き回っていたが、退院後は歩行器と車椅子とを
状況に応じて使い分けることになるだろう。歩行器を使用する場合も必ず補助が必要
になってきている。食事も従来は居間の低いテーブルで食べていたが、車椅子になっ
て食堂の高いテーブルでしか食べられなくなった。
今日は退院祝に親父の好物の「刺身」を買ってきて、久し振りにビールで乾杯した。
おかずが多かったのか、ご飯は一口食べただけでお腹一杯だと終了宣言していた。
当然のことながら、退院するたびに動作の制限が少しずつ多くなっているが、これ
からは家でリハビリを継続して、せめて歩行器を自由に操れる位には回復させたいと
思っている。本人との二人三脚になるが、お互いにどこまで継続できるかが鍵である。
退院する時に下の階に入院しているお袋の処に挨拶にいった。認知がかなり進んで
いるので、親父の退院ということをよく理解できていないようだったが、親父の手を
握って別れ際にはは手を振ってバイバイをしてくれた。お袋はまだしばらく(一ヶ月
位)は入院しているから、当面は親父と二人だけの生活が始ることになる。
昨年も夏に2ヶ月程入院したので、最近は年中行事になっている。退院するときも
来年の夏にまた来ますとといって看護士さん達とお別れをした。ただ、入院の日数が
長引いているのが少し気がかりではある。
明日は早速新しいケアマネさんが来られて、担当者会議が開催される。この会議は
初めて介護のお世話になる時など、ケアマネさんが関係者を招集して今後の介護計画
を検討する場である。デイサービスやショートステイ、訪問介護スタッフ、介護用品
レンタル業者等が一同に集まって具体的な介護メニューを決めていく会議である。
親父の場合は「要支援1」から「要介護3」へ4ランクアップしたので、ケアマネ
さんも公的支援センターから民間の業者に変更になったものである。また、ここ数年
親父は「支援」と「介護」を何回か行き来していたので、その辺の仕組みは理解でき
ており特に大きな変化はないのだが、介護レベルが「要介護3」になったのは初めて
なので、介護計画も入念なものになるかも知れない。
入院前は家の中を歩行器で自由に動き回っていたが、退院後は歩行器と車椅子とを
状況に応じて使い分けることになるだろう。歩行器を使用する場合も必ず補助が必要
になってきている。食事も従来は居間の低いテーブルで食べていたが、車椅子になっ
て食堂の高いテーブルでしか食べられなくなった。
今日は退院祝に親父の好物の「刺身」を買ってきて、久し振りにビールで乾杯した。
おかずが多かったのか、ご飯は一口食べただけでお腹一杯だと終了宣言していた。
当然のことながら、退院するたびに動作の制限が少しずつ多くなっているが、これ
からは家でリハビリを継続して、せめて歩行器を自由に操れる位には回復させたいと
思っている。本人との二人三脚になるが、お互いにどこまで継続できるかが鍵である。
退院する時に下の階に入院しているお袋の処に挨拶にいった。認知がかなり進んで
いるので、親父の退院ということをよく理解できていないようだったが、親父の手を
握って別れ際にはは手を振ってバイバイをしてくれた。お袋はまだしばらく(一ヶ月
位)は入院しているから、当面は親父と二人だけの生活が始ることになる。
2011年09月24日
杉・五兵衛でランチ。
昨日は久し振りに家内とドライブ&ランチに行ってきた。
目的地は枚方の「農園 杉:五兵衛」という緑一杯の丘陵地にある「百姓の郷」だった。
自然豊かな農園を散策しながら、子供連れは「芋掘り」や「葡萄狩り」を楽しみ、変わった
ところでは「野菜狩り」で季節の野菜を収穫する(500~1000円)ことが出来るところである。
家内によるとテレビでも良く紹介されており、一度行ってみたかったとのことだった。
11時開園の所、道に迷ったりして結局12時着となってしまった。祭日ということもあり案の定
入り口へ入ると受付段階で満杯状態でしばらく待たされた。(20~30分か)
料理は「農園のお弁当」2000円(煮しめ付き)を注文した。竹籤で編んだ籠に季節の野菜が
盛りつけてあった。米粉で作ったお焼きや「ハヤトウリ」の葉っぱの天ぷら、「シロウリ」の
味噌田楽、オクラ・ウド・大根葉の煮浸し、季節の果物(ブドウ、栗、イチジク)などが入っ
ており、その上に乗っているススキが見事に秋を演出していた。
それを全部食べると、次は別室にバイキング形式の「煮しめ料理」が並んでおり、それを自由
に好きなだけ取って食べることができた。
煮しめと言っても種類も沢山(シシトウやシロウリの煮浸し、ゴーヤの卵とじ、ぶどうサラダ、
紅いもの天ぷら、ニクジャガ等10種類ほど)あり、他にかやくご飯や味噌汁、おぼろ豆腐、漬
け物各種、パン、葡萄ゼリー、ケーキなど、全ての種類を食べるのは無理と思われる量だった。
二人ともメイン料理を食べた後、煮しめ料理を2回お代わりするなど料理を満喫して店を後
にした。敷地も広く自家製の野菜を作っており、また果物や野菜の収穫コースなどもあった。
また、動物ランドには20頭ほどのロバやうさぎ、鶏、犬などを飼っており、餌をやること
も出来るので子供達は喜びそうである。
ただ、敷地が広すぎて途中に幾つかの施設があったが、充分手が回っていないようだった。
遊び仲間も多いので、今度誘って見たいと思った次第である。
一週間のつかの間の休息を終えて、本日から両親が待っている福岡へ戻る。
農園「杉・五衛」のURLはここをクリックして下さい。
農園「杉・五兵衛」の入口看板です。

敷地のかなり奧に本館がありました。

メインの「農園のお弁当」です。

食べ放題の「お煮しめ」です。

「ヒガンバナ」が元気に咲いていました。

動物ランドの「ロバ」さんです。

ザクロの実がパックリ口を開けていました。

秋の空に舞うアゲハチョウです。

目的地は枚方の「農園 杉:五兵衛」という緑一杯の丘陵地にある「百姓の郷」だった。
自然豊かな農園を散策しながら、子供連れは「芋掘り」や「葡萄狩り」を楽しみ、変わった
ところでは「野菜狩り」で季節の野菜を収穫する(500~1000円)ことが出来るところである。
家内によるとテレビでも良く紹介されており、一度行ってみたかったとのことだった。
11時開園の所、道に迷ったりして結局12時着となってしまった。祭日ということもあり案の定
入り口へ入ると受付段階で満杯状態でしばらく待たされた。(20~30分か)
料理は「農園のお弁当」2000円(煮しめ付き)を注文した。竹籤で編んだ籠に季節の野菜が
盛りつけてあった。米粉で作ったお焼きや「ハヤトウリ」の葉っぱの天ぷら、「シロウリ」の
味噌田楽、オクラ・ウド・大根葉の煮浸し、季節の果物(ブドウ、栗、イチジク)などが入っ
ており、その上に乗っているススキが見事に秋を演出していた。
それを全部食べると、次は別室にバイキング形式の「煮しめ料理」が並んでおり、それを自由
に好きなだけ取って食べることができた。
煮しめと言っても種類も沢山(シシトウやシロウリの煮浸し、ゴーヤの卵とじ、ぶどうサラダ、
紅いもの天ぷら、ニクジャガ等10種類ほど)あり、他にかやくご飯や味噌汁、おぼろ豆腐、漬
け物各種、パン、葡萄ゼリー、ケーキなど、全ての種類を食べるのは無理と思われる量だった。
二人ともメイン料理を食べた後、煮しめ料理を2回お代わりするなど料理を満喫して店を後
にした。敷地も広く自家製の野菜を作っており、また果物や野菜の収穫コースなどもあった。
また、動物ランドには20頭ほどのロバやうさぎ、鶏、犬などを飼っており、餌をやること
も出来るので子供達は喜びそうである。
ただ、敷地が広すぎて途中に幾つかの施設があったが、充分手が回っていないようだった。
遊び仲間も多いので、今度誘って見たいと思った次第である。
一週間のつかの間の休息を終えて、本日から両親が待っている福岡へ戻る。
農園「杉・五衛」のURLはここをクリックして下さい。
農園「杉・五兵衛」の入口看板です。
敷地のかなり奧に本館がありました。
メインの「農園のお弁当」です。
食べ放題の「お煮しめ」です。
「ヒガンバナ」が元気に咲いていました。
動物ランドの「ロバ」さんです。
ザクロの実がパックリ口を開けていました。
秋の空に舞うアゲハチョウです。
2011年09月23日
宇治の三室戸寺へ。
昨日は学生時代の友人二人と宇治の三室戸寺へ行ってきた。以前西国三十三ヶ所巡りで
お参りしたが、久し振りの参拝だった。
本来は5月のツツジや6月のアジサイ、7~8月のハスという時期が見頃だが、そういう意味
では季節外れの訪問となった。昨日はハギが少し咲いている程度で参拝客も少なかった。
その後、伏見の「月の蔵人」でランチを頂いた。ここは月桂冠が経営するお店で入り口は
小さかったが、中に入ると天井も高くかなり広いお店だった。黄桜が経営する「カッパカン
トリー」も有名だが、それに劣らない大きさだった。なお且つ、入り口で靴を脱いであがり、
席は全て掘りごたつのような形式だったので、楽に座ることが出来た。
美味しいランチを食べた後は、最終目的である近くの温泉に浸かった。日頃のストレスと
体の疲れをゆっくり癒してくれる至福の一時だった。
三室戸寺の赤い山門です。

「みむろどう」とありました。
右側にかなりきつい階段がありました。

三室戸寺の全景です。
花の季節ではないので参拝客もまばらでした。

「月の蔵人(月桂冠)」の入り口です。

大きな看板も掛かっていました。
昔の酒蔵でしょうか。

先付けはその日の朝に作りたての「おぼろ豆腐」でした。
軽いにがりの芳がして三種類の塩で美味しく頂きました。

メインの料理です。八寸から始まって彩りもよく
種類が豊富で女性向けだなと思いました。
一番下の段には見えにくいですが湯葉もありました。

最後はデザートと珈琲でした。
お参りしたが、久し振りの参拝だった。
本来は5月のツツジや6月のアジサイ、7~8月のハスという時期が見頃だが、そういう意味
では季節外れの訪問となった。昨日はハギが少し咲いている程度で参拝客も少なかった。
その後、伏見の「月の蔵人」でランチを頂いた。ここは月桂冠が経営するお店で入り口は
小さかったが、中に入ると天井も高くかなり広いお店だった。黄桜が経営する「カッパカン
トリー」も有名だが、それに劣らない大きさだった。なお且つ、入り口で靴を脱いであがり、
席は全て掘りごたつのような形式だったので、楽に座ることが出来た。
美味しいランチを食べた後は、最終目的である近くの温泉に浸かった。日頃のストレスと
体の疲れをゆっくり癒してくれる至福の一時だった。
三室戸寺の赤い山門です。
「みむろどう」とありました。
右側にかなりきつい階段がありました。
三室戸寺の全景です。
花の季節ではないので参拝客もまばらでした。
「月の蔵人(月桂冠)」の入り口です。
大きな看板も掛かっていました。
昔の酒蔵でしょうか。
先付けはその日の朝に作りたての「おぼろ豆腐」でした。
軽いにがりの芳がして三種類の塩で美味しく頂きました。
メインの料理です。八寸から始まって彩りもよく
種類が豊富で女性向けだなと思いました。
一番下の段には見えにくいですが湯葉もありました。
最後はデザートと珈琲でした。
2011年09月18日
秋の花。
昨日奈良へ戻ってきた。
今日は久し振りに奈良の「秋」を探しに出掛けた。
まだまだ残暑が厳しいままだが、「花」は確実に秋の到来を教えてくれる。
京都の「けいはんな記念公園」で見かけた「ヒガンバナ」です。

緑の草むらに咲く「ヒガンバナ」の
赤はなぜか刺激的ですね。

同じく「水景園」の中にも咲いていました。

この中に昆虫がいますが判りますか?
一枚飛んで回答の写真があります。

「ザクロ」の実がたわわに成っていました。

大きな「ショウリョウバッタ」でした。
枯葉の模様もあって遠くからでは判りません。

赤い実が秋の訪れを告げていました。

ここは昔「花空間けいはんな」と言っていた場所で、
現在は「京都府立大学精華キャンパス」になっています。
「ホテイアオイ」が群生していました。

「ホテイアオイ」のアップです。

この花は初めて見かけた花です。
従って名前も判りません・・・
「マンデビラ」のようです。
emirinさんより情報を頂きました。

今日は久し振りに奈良の「秋」を探しに出掛けた。
まだまだ残暑が厳しいままだが、「花」は確実に秋の到来を教えてくれる。
京都の「けいはんな記念公園」で見かけた「ヒガンバナ」です。
緑の草むらに咲く「ヒガンバナ」の
赤はなぜか刺激的ですね。
同じく「水景園」の中にも咲いていました。
この中に昆虫がいますが判りますか?
一枚飛んで回答の写真があります。
「ザクロ」の実がたわわに成っていました。
大きな「ショウリョウバッタ」でした。
枯葉の模様もあって遠くからでは判りません。
赤い実が秋の訪れを告げていました。
ここは昔「花空間けいはんな」と言っていた場所で、
現在は「京都府立大学精華キャンパス」になっています。
「ホテイアオイ」が群生していました。
「ホテイアオイ」のアップです。
この花は初めて見かけた花です。
従って名前も判りません・・・
「マンデビラ」のようです。
emirinさんより情報を頂きました。
2011年09月15日
介護日誌10。
毎日、両親の見舞いに病院へ行っているが、今日はお袋の担当医と話しができた。
先生の話では「最近食事の量がかなり減ってきて体重も落ちてきているようです。」
また「水分の補給も少なく尿の一日の量が300~400ccで、成人ならば最低でも
500ccは欲しいところです。」とのことだった。
このことから「栄養と水分補給の為にしばらく点滴を続けます。」とも言われた。
確かに、ベッドで休んでいるときは、話しかけても軽くうなずくだけで、会話はほとん
ど出来なかったので弱っているなとは思っていたが、食事やリハビリの時は盛んに
「家に帰りたい。」というので、意慾はまだ残っているなと感じていた。
先生は更に「免疫力が落ちているので肺炎や腸炎を起こしやすく、自力で尿の排泄
ができないことなどから、家庭での看病は難しいでしょう。」とのことだった。
最終的には「寿命が近づいてきており、そう遠くない時期に・・・」とのこと。
こちらも腹づもりとしては、今回は家に連れて帰れるかどうかの瀬戸際だなとは思
っていた。場合によっては施設への入居も考えないといけないかも知れないと言うこ
とは頭の中にあったし、妹ともその件で話し合っていた。
担当医としては、あまり楽観的に話していて容体が急変してもよくないので、少し
悲観的な観点から話されたと思うが、そこまでいっているかと思うとショックだった。
明後日に奈良へ一端戻るが、その後親父や妹達とも話して今後の対応を考えよう
と思っている。
先生の話では「最近食事の量がかなり減ってきて体重も落ちてきているようです。」
また「水分の補給も少なく尿の一日の量が300~400ccで、成人ならば最低でも
500ccは欲しいところです。」とのことだった。
このことから「栄養と水分補給の為にしばらく点滴を続けます。」とも言われた。
確かに、ベッドで休んでいるときは、話しかけても軽くうなずくだけで、会話はほとん
ど出来なかったので弱っているなとは思っていたが、食事やリハビリの時は盛んに
「家に帰りたい。」というので、意慾はまだ残っているなと感じていた。
先生は更に「免疫力が落ちているので肺炎や腸炎を起こしやすく、自力で尿の排泄
ができないことなどから、家庭での看病は難しいでしょう。」とのことだった。
最終的には「寿命が近づいてきており、そう遠くない時期に・・・」とのこと。
こちらも腹づもりとしては、今回は家に連れて帰れるかどうかの瀬戸際だなとは思
っていた。場合によっては施設への入居も考えないといけないかも知れないと言うこ
とは頭の中にあったし、妹ともその件で話し合っていた。
担当医としては、あまり楽観的に話していて容体が急変してもよくないので、少し
悲観的な観点から話されたと思うが、そこまでいっているかと思うとショックだった。
明後日に奈良へ一端戻るが、その後親父や妹達とも話して今後の対応を考えよう
と思っている。
2011年09月12日
元気な百日紅。
昨日、久し振りにジョギングした。9月に入ってもまだ残暑厳しい日々である。
夏の花である「百日紅(サルスベリ)」が、まだ元気に花を咲かせていた。
古い友人である「酔狂」さんのご希望に応えてアップしてみた。
ジョギングの途中で見かけた花々です。
紅い「百日紅」が満開でした。
花言葉:雄弁、愛敬、世話好き

白い「百日紅」も競っていました。

ピンクの「百日紅」は実がついていました。

秋の「ヤブラン」も今が盛りと!
花言葉:謙遜

そして「萩」も咲き誇っていました。
花言葉:思案、思い、柔軟な精神
奈良のお寺の「萩」はまだかな?!
夏の花である「百日紅(サルスベリ)」が、まだ元気に花を咲かせていた。
古い友人である「酔狂」さんのご希望に応えてアップしてみた。
ジョギングの途中で見かけた花々です。
紅い「百日紅」が満開でした。
花言葉:雄弁、愛敬、世話好き
白い「百日紅」も競っていました。
ピンクの「百日紅」は実がついていました。
秋の「ヤブラン」も今が盛りと!
花言葉:謙遜
そして「萩」も咲き誇っていました。
花言葉:思案、思い、柔軟な精神
奈良のお寺の「萩」はまだかな?!
2011年09月07日
介護日誌9。
親父が入院して2ヶ月過ぎた。お袋も一週間後だったので、今度の日曜日で2
ヶ月である。二人とも現在はリハビリ病棟に移って毎日を過ごしている。
親父が先に5階に移ってきて、後からお袋が4階に移ってきた。階が違うので
普段病院内で会うことはない。先月末に一度親父がお袋の部屋に車椅子で見舞い
に行きたいと言うので連れて行った。お袋は認知が進んでいるようで、親父のこ
とをはっきりと認識できたかどうかは判らない。目では認識したようだが。
今日、親父が2階でリハビリを受けていると、女性のリハビリスタッフがお袋
を車椅子に乗せて降りてきた。そのスタッフが親父の事を知っているようで、側
まで寄ってきてくれた。そしてお袋に「ご主人よ!」と指差してくれた。お袋は
少し怪訝な顔で見ていたが、親父は気が付いて近寄り笑顔でお袋の手を握った。
私が「お父さんだよ!」と言うと、どこまで理解出来ているかどうか判らない
がお袋も親父の手を握ってうなずいていた。「お父さんの名前は?」と聞いても
答えは返ってこなかった。私の名前を聞いても答えないので、それはもう無理の
ようである。
廻りののスタッフや患者さんも気が付いて微笑ましく見てくれていたが、お袋
は最後までよく理解できないままでリハビリを始めていた。
親父のリハビリを最後まで立ち会った後、お袋のリハビリに付き添ったが、今
までは立つのがやっとで、最近その場足踏みをしているということだった。今日
はリハビリの女性スタッフが「息子さんがいるから歩きましょうか!」と言って、
平行棒を使って歩く練習を始めた。私も少しは手伝おうかと思って平行棒の反対
側へ行き、「おいでおいで!」と手招きした。最初は真ん中辺で折り返したが、
二度目は平行棒の端まで来てくれた。その時、時間は掛かるが歩けるようになる
のではないかと思った。
親父は今月中には退院できると思うが、お袋もそう遠くない時期に退院できる
かも知れない。後は食事やトイレなどの日常生活がどこまで元に戻るかに掛かっ
ている。お袋のリハビリに明るい兆しが見えてきたので、明日からの病院見舞い
に希望が見えてきた!
今回の台風で奈良の被害が盛んにテレビや新聞に載るので、皆さんから「奈良
の家は大丈夫?」と心配のコメントやメールが来ているが、「奈良の北部地域な
ので大丈夫です!」と答えている。それにしても今年は「想定外の災害」が多過
ぎるような気がする。
「地球温暖化」も原因の一つだろうが、日本全体が一度お祓いを受ける必要が
あるのではないかとも思えてくる。
ヶ月である。二人とも現在はリハビリ病棟に移って毎日を過ごしている。
親父が先に5階に移ってきて、後からお袋が4階に移ってきた。階が違うので
普段病院内で会うことはない。先月末に一度親父がお袋の部屋に車椅子で見舞い
に行きたいと言うので連れて行った。お袋は認知が進んでいるようで、親父のこ
とをはっきりと認識できたかどうかは判らない。目では認識したようだが。
今日、親父が2階でリハビリを受けていると、女性のリハビリスタッフがお袋
を車椅子に乗せて降りてきた。そのスタッフが親父の事を知っているようで、側
まで寄ってきてくれた。そしてお袋に「ご主人よ!」と指差してくれた。お袋は
少し怪訝な顔で見ていたが、親父は気が付いて近寄り笑顔でお袋の手を握った。
私が「お父さんだよ!」と言うと、どこまで理解出来ているかどうか判らない
がお袋も親父の手を握ってうなずいていた。「お父さんの名前は?」と聞いても
答えは返ってこなかった。私の名前を聞いても答えないので、それはもう無理の
ようである。
廻りののスタッフや患者さんも気が付いて微笑ましく見てくれていたが、お袋
は最後までよく理解できないままでリハビリを始めていた。
親父のリハビリを最後まで立ち会った後、お袋のリハビリに付き添ったが、今
までは立つのがやっとで、最近その場足踏みをしているということだった。今日
はリハビリの女性スタッフが「息子さんがいるから歩きましょうか!」と言って、
平行棒を使って歩く練習を始めた。私も少しは手伝おうかと思って平行棒の反対
側へ行き、「おいでおいで!」と手招きした。最初は真ん中辺で折り返したが、
二度目は平行棒の端まで来てくれた。その時、時間は掛かるが歩けるようになる
のではないかと思った。
親父は今月中には退院できると思うが、お袋もそう遠くない時期に退院できる
かも知れない。後は食事やトイレなどの日常生活がどこまで元に戻るかに掛かっ
ている。お袋のリハビリに明るい兆しが見えてきたので、明日からの病院見舞い
に希望が見えてきた!
今回の台風で奈良の被害が盛んにテレビや新聞に載るので、皆さんから「奈良
の家は大丈夫?」と心配のコメントやメールが来ているが、「奈良の北部地域な
ので大丈夫です!」と答えている。それにしても今年は「想定外の災害」が多過
ぎるような気がする。
「地球温暖化」も原因の一つだろうが、日本全体が一度お祓いを受ける必要が
あるのではないかとも思えてくる。
2011年08月30日
ラッテたかまつでピザ。
先日(26日)、久し振りに家内と葛城方面へドライブした。
目的地は葛城山麓公園のさらに向こうにある「ラッテたかまつ」さんである。
最寄り駅は近鉄「御所駅」で、そこからバスがあるのかどうかは不明。
ここは酪農牧場があり、牛乳やチーズ、ソフトクリームなどが有名である。
ずいぶん昔だが息子が電車を乗り継いで、かなり歩いてたどり着いたと言っていた。
今回は息子の車でナビが無かったので、かなり道に迷って3回は途中でUターンした。
やっとの思いで見つけて中に入った。先客が一組いたが、ゆっくりとランチができた。
今回はお好み焼きとピザ、デザートにアイスクリームを注文した。屋外には広いテラス風
の10個以上のテーブルがあり、バーベキューの設備も3カ所ほどあった。
確かに後から来た客はこの暑いのにバーベキューを愉しんでいた。
お好み焼きには特産のモッツァレラチーズがふんだんに使われており、柔らかい
クリーミーな味を愉しむことが出来た。トッピングも豚肉とモッツァレラチーズだった。
今年の5月に葛城山にはツツジを見に来たところだが、新しいスポットを見つけたので、
来年のゴールデンウィークには、また来ようと思った。
葛城高原「ラッテたかまつ」さんです。
全てが手作り感一杯で、何人かの有名人も来られていました。

モッツァレラチーズたっぷりのお好み焼きです。

ピザもチーズの香りが良く、美味しく頂きました。

ウッドデッキは見晴らしが良く夏は最高だなと思いました。

ウッドデッキの一部がゴーヤカーテンになっていました。

「ラッテたかまつ」の看板です。酪農体験もできるようです。
場所的には車がないと行けません。歩くのは無謀だと感じました。

「ラッテたかまつ」のURL
目的地は葛城山麓公園のさらに向こうにある「ラッテたかまつ」さんである。
最寄り駅は近鉄「御所駅」で、そこからバスがあるのかどうかは不明。
ここは酪農牧場があり、牛乳やチーズ、ソフトクリームなどが有名である。
ずいぶん昔だが息子が電車を乗り継いで、かなり歩いてたどり着いたと言っていた。
今回は息子の車でナビが無かったので、かなり道に迷って3回は途中でUターンした。
やっとの思いで見つけて中に入った。先客が一組いたが、ゆっくりとランチができた。
今回はお好み焼きとピザ、デザートにアイスクリームを注文した。屋外には広いテラス風
の10個以上のテーブルがあり、バーベキューの設備も3カ所ほどあった。
確かに後から来た客はこの暑いのにバーベキューを愉しんでいた。
お好み焼きには特産のモッツァレラチーズがふんだんに使われており、柔らかい
クリーミーな味を愉しむことが出来た。トッピングも豚肉とモッツァレラチーズだった。
今年の5月に葛城山にはツツジを見に来たところだが、新しいスポットを見つけたので、
来年のゴールデンウィークには、また来ようと思った。
葛城高原「ラッテたかまつ」さんです。
全てが手作り感一杯で、何人かの有名人も来られていました。
モッツァレラチーズたっぷりのお好み焼きです。
ピザもチーズの香りが良く、美味しく頂きました。
ウッドデッキは見晴らしが良く夏は最高だなと思いました。
ウッドデッキの一部がゴーヤカーテンになっていました。
「ラッテたかまつ」の看板です。酪農体験もできるようです。
場所的には車がないと行けません。歩くのは無謀だと感じました。
「ラッテたかまつ」のURL
2011年08月20日
秋の気配。
昨日は奈良で久し振りにジョギングした。
空の雲や沿道の草花は、もう秋の気配を漂わせていた。
日中はまだ暑かったので夕方走ったが、一昨日の大雨で地表もかなり冷えてきて
凌ぎやすかった。そろそろ本格的なジョギングの季節になってきたようだ。
富雄川沿いのケーキ&喫茶「川端風太郎」の垣根には今年もブドウの実が成って
いた。
いつも思うことだが、カラスなどの鳥たちに食べられないのだろうか。心配だ。
数日前に「川端風太郎」に入ってお茶したが、奥のスペースの天井には青ブドウ
が鈴なりに成っていた。ケーキのトッピングに使っているのかな?
毎度のことだと、秋深まる頃にはお茶しているテーブルの上に種が落ちてくるこ
とから、観賞用として自然にまかせているのかも知れない。
「川端風太郎」の垣根に鈴なりのブドウです。

かなり大きなものもあります。

富雄川沿いの「川端風太郎」です。

沿道の田んぼの稲が頭を垂れるほど実っていました。
空の雲や沿道の草花は、もう秋の気配を漂わせていた。
日中はまだ暑かったので夕方走ったが、一昨日の大雨で地表もかなり冷えてきて
凌ぎやすかった。そろそろ本格的なジョギングの季節になってきたようだ。
富雄川沿いのケーキ&喫茶「川端風太郎」の垣根には今年もブドウの実が成って
いた。
いつも思うことだが、カラスなどの鳥たちに食べられないのだろうか。心配だ。
数日前に「川端風太郎」に入ってお茶したが、奥のスペースの天井には青ブドウ
が鈴なりに成っていた。ケーキのトッピングに使っているのかな?
毎度のことだと、秋深まる頃にはお茶しているテーブルの上に種が落ちてくるこ
とから、観賞用として自然にまかせているのかも知れない。
「川端風太郎」の垣根に鈴なりのブドウです。
かなり大きなものもあります。
富雄川沿いの「川端風太郎」です。
沿道の田んぼの稲が頭を垂れるほど実っていました。

